清水ヶ丘公園のひまわりと一本エノキ、綱島街道沿いのパンパスグラス (8月25日更新) 

 

~本会は会員の懇親互助と福祉の増進及び

         社会(特に教育分野)への奉仕をはかる。~

令和7年度清交会事務局・三役会・役員会、行事の予定。(市)は市連退、

(県)は県連退の予定。  (4月26日更新


活動活性化特別委員会:会員提案の活動ご案内

今年も旧東海道を歩きませんか。11月15日(土)保土ヶ谷宿~!!

 コースが決まりました。 詳細は9月5日以降ご紹介します。

投稿フォーム使い方

会員専用のページを開くと下の様になります。緑色のボタンを押すとパスワードが要求されます。パスワードは総会議案書に掲載されています。

投稿フォームからの投稿

令和7年8月20日(水)

和光弘様から8月の絵手紙2通(シャインマスカットとイチジク)

山田弘仁様から「今日の月🌘下弦三日月2025/08/19/04:00(旧7月26日)[月齢25.0]🌤️」と今日の月🌗下弦半月2025/08/16/ 03:04(旧7月22日)[月齢22.0]


こちらで紹介しました過去の投稿はこちらから

 (更新ご紹介)

1)俳壇・柳壇・歌壇(先月投稿分)公開中

2)市連退用ホームページ作成

3)

 



お問い合わせこちらから

 

最新のニュース

令和7年8月24日(日) 満州からの一引揚者の記録 敗戦前後

タウンニュースの港南区・栄区版に清交会会員の鶴貝敬司様の「戦争は人を変える」が掲載されていますのでご紹介いたします。       (鶴貝様より「タウンニュース」投稿分の表現の違いについて次のような訂正・加筆をいただきました。)             ※編集者                       (タウンニュースサイトはこちらからhttps://www.townnews.co.jp/0112/2025/08/14/797153.htm 画像はタウンニュースから)

 

初 め に私 の 座 右 の 銘

 

     作 家 の 渡 辺 淳 一 氏 の 「 公 園 通 り の 午 後 」 に 「 戦 争 体 験 を 語 り 継 ぐ こ と に 反 対は し な い 。 ~ 中 略 ~ 体 験 を 語 ろ う と す る 側 に 一 種 の 気 負 い や 過 去 を 懐 か し む気 配 を 感 じ る と 気 が 滅 入 る 。 ~ 中 略 ~ 時 に 知 ら ず に 、 大 げ さ に 言 っ て 自 分 で

も 驚 く こ と が あ る 」とある。

 彼 ほ ど の 作 家 で 医 師 で も こ う 語 る の だ 。語 る 時 、 書 く 時 、 私 は 此 れ を 胆 に 銘 じ て い る 。

 

渡満から国民学校卒業まで

(国民学校は昭和22331日で終了)

 

  • 昭和9618日誕生 横須賀市久郷(叔母の家)生後3か月で昭和99月、母と渡満(奉天・現瀋陽の城内・中国人街)拠って私は中国語のみ話す。母が通訳
  • 現在でも中国語のイントネーションは耳に心地よい。
  • このままでは日本人の小学校への入学困難の為3歳数か月で、昭和13年3月父栄一は満鉄入社、社宅の奉天省蘇家屯区乗鞍町11番地82-4へ転居。
  • 昭和1641日 蘇家屯国民学校初等科入学
  • 昭和214月 横浜市磯子国民学校初等科編入
  • 昭和223月 同校卒業

 

(タウンニュースサイトはこちらからhttps://www.townnews.co.jp/0112/2025/08/14/797153.htm 画像はタウンニュースから) 


蘇家屯(そかとん)神社に日本の戦闘機が翼を国旗掲揚竿に引っかけて墜落見に行くと、未だ警戒網が張られる前だった。機械部分以

  外は全て木造!ベニヤ板にキャンバスを貼って日の丸が描かれていて驚いた!それ以前にも満鉄病院前の広場の松の根を

  掘り起こす作業に駆り出されて居て、松根油が必要と言われて居たので、これで戦争に勝てるのかとの思いを強くした。

 

② 家事手伝いの中国人のおばあちゃんとおばさんに5月頃から「日本負ける。早く帰る事よろし」などと言われて居た。満鉄の父に選択肢は無かった。今思えば思い切って退職して帰国すればと思うが、若い人は戦地へ駆り出されて手が足りない状態であったのだろう。 

  

③ 1945815日 所謂「玉音放送」はよく聞き取れなかった。

 

④ ④蘇家屯は満鉄の機関区があって、積載軍事貨物が停留して居た。此の物資を、現地人と日本人が呉越同舟で持ち出し始めた!火事場の馬鹿力で女性も大荷物を平気で担ぎ出した。この時初めて兵隊と土官の食べ物の違うことを知った。間も無く現地人の警官の銃音で静まった。

 

 

⑤ ⑤その日の夕刻、現地人の一行が、満鉄病院から片脚の無い日本人の傷病兵を一人日本人街へ連れて来た。口々に大声で何か叫んでいる。何事か察した母が巡る袖の下から垣間見ると、大声で担ぎ上げた手を一斉に放して道路に叩き落とした。声を上げて泣き叫ぶ彼を何度か叩き落とした後、煉瓦やコンクリートの破片を叩きつける。母に突き飛ばされるようにして窓際から遠ざけられた。
その後こっそりと来てくれたお手伝いのおばあちゃんから、彼は日頃病院で、現地使用人への罵声、暴力等我慢ならない対応があって、それが今回の原因だと知らされた。
その後、身構えて居たが我々に対しての暴力行為は無かった。しかし中庭に何人かの現地人の男性が入り込んで見回しては帰って行った。後で判った事だが、我々が引き揚げた後に入居する物件を探っていたのであった。

二、三日は静かに過ぎたが、突然ソ連兵が「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄して侵入してきた。玄関のカギを自動小銃で壊して強盗に入られた。知り合いの若い看護師を預かって居たので、かねて父親から言われて居たとおり、布団の下に隠してその上に我々兄弟姉妹五人が固まって座り込んで震えて居たので、隠しおおせたが、姉妹の着物やめぼしい物は全て持ち去られた。


 学校の時計が時刻を告げると、銃で撃つし、奪った腕時計を手足に幾つも着けて止まると捨てる等、乱暴の限りを尽くして去って行った。去り際に彼等は、満鉄の施設から目ぼしい物は殆ど、例えば客車、貨車、工場の煙突まで当時はリベット止めであったので外して持ち去った。これには中国人も怒って居た、本来は我々中国のものである筈だと言うのである。

  このため私達が引き揚げる時には、電柱やレールを運搬する所謂(いわゆる)台車(だいしゃ)しか残っていなかった。

 

⑦この後、毛沢東と蒋介石の内乱が始まり、私たちの街も市街戦の場となった。四軒が一つのレンガ建ての建物であった。私たち一家は二階であったので、頼んで下の家に身を移し、窓際には畳を上げて弾除けにし、さらに布団にくるまって身を守った。小銃弾はピューンと、迫撃弾はシュルシュルと飛んでくる。同級生の父親はトイレで用足し中に、この迫撃砲の直撃を受けて亡くなった。一階のご主人はあくびをして手を挙げた時に(てのひら)に小銃の弾が当った。遠かったのか二重窓と畳二枚が幸いして軽症で済んだ。

 

⑧列車は日本兵を満載して北へと通過する。私たちの家は最も鉄路に近い位置にあった。此処蘇家屯には満鉄の機関区があっ

 たので、線路は多数ある。ここで列車はスピードを緩める。夜になると脱走兵は此処を狙って飛び降りる。撃たれずに逃げ延び

 た計十人が、私の家を頼って来た。帰国後訪ねて来たのは千葉県のお一人だけであったが何人帰国出来たのであろうか。

  父親は飼っていた鶏を彼等に締めさせてご馳走してやったり、背広を着せて逃がしてやった。程なく我々の住居を引き渡ざ

 るを得ない時期が来た。追われるように父親の知人を頼って郊外の油脂工場へ引っ越した。

 引き渡す時に、私は同じ年の男の子に一応挨拶を受けた。台所や物置以外に確か四部屋あったと思うが、驚くことに其々の部屋に其々(それぞれ)の家族が入居したのであった。

 移住した油脂工場で石鹸を作り、路傍で売ることで生計の一助と為すのだが、此処で酷い目に合う。数人で来て左で値を聞く間に右で万引きをするのである。これは以前彼等がマクワ瓜を売る時に日本人の大人がしたことへのしっぺ返しなのであった。

⑨愈々引き揚げ、194610月頃だったと思う。ソ連との国境から引き揚げて来る同胞よりはずっと恵まれているが矢張り不安だ。客車はおろか貨車も無い。台車で移動だ。

 男どもが、一人一個の許しを得たリュックサックを縁に並べて縄で固定する。ドラム缶を半分に切ったものを載せて厚板を二枚渡しトイレとする。用を足す時は大人が四人後ろ向きに毛布を持ちカバーする。雨が降ればそのままだ。

 何度も通過待ちをさせられて葫蘆島ころとうの収容所に着いた。土間にアンペラ(トウモロコシや高粱こうりゃん等の茎を乾燥させて延ばして編んだもの)一枚が敷かれたのみの部屋へ入る。勿論皆雑魚寝。

 

(※ 編集者、画像は葫蘆島著作権フリー)

 現在の地図と重ねるとこんな感じでしょうか。(※編集者)

⑩梯団の世話役が団員から指輪等を集めて近隣の農家から薩摩芋を購入し大釜で煮る。取り出し終るや否や黒い小さな細い腕が延びてまだ熱いお湯の中から芋の尻尾を奪い合う。ソ満国境近くからの孤児や母子家庭の子ども達だ。気の毒に思った私が分けてやろうとすると、「何人いると思って居るの!」と母親に(たしな)められて切なかった。

 

⑪やっと乗った船中には武装解除された兵隊が数十人が居た。中に若い兵士が病気であるらしく「おかあさーん、おかあさーん」と叫んでいるがだんだん声が小さくなってこと切れた様子。仲間がシーツに包んで担架に載せて甲板へ担ぎ出し、敬礼して海中へ投じた。水葬は後にも先にもこの時以外見たことが無い。

 

 

⑫我々は佐世保港、ソ連側からの引揚げは舞鶴港へと決まって居た。佐世保港が近くなると、本土は緑が多かった。皆が寄り右舷が傾く。係員が乗船して来て DDT を頭から、胸から懐へと万遍無(まんべんな)く吹き込む。皆(むせ)ている。疫病観察の為1週間船に足止めされて、漸く宿舎に入る。土間に一枚のアンペラ(高粱(こうりゃん)玉蜀黍(とうもろこし)の茎を乾燥させて編んだもの)だけの部屋。勿論大勢で雑魚寝だ。

 新幹線のなかった時代、現在は佐世保、東京間8時間弱ですが、何日もかかったことでしょう。(※編集者)

 

⑬大人も幼児も一人頭千円を渡されてそれぞれの土地へ散らばる。私どもは父親の栃木県足利へ帰る予定で宿舎を出たが、父親は就職のことを考えたのか、横浜市磯子区滝頭の蕎麦屋を経営していた叔父の家の二階に転げ込んだ。一家八人もの人間を良くも引き受けてくれたものだ。その後一人増えて九人になった。父は横浜市の交通局へ入り滝頭の車庫勤務となり、夜勤専門で猛烈に働きだした。母は嘗ての「紺屋」の腕を生かして「洗い張り」を父親と共に内職し始めた。私は小学校6年生であったが二歳年下の妹と、朝日新聞の配達員として早朝働いて、稼ぎは全て母親に渡した。友人の紹介で、収入の多い本牧の米軍住宅の新聞(stars andstripes スターズ&ストライプス星条旗新聞)配達に変わった。(画像は洗い張りの様子・・鶴貝さん提供)

 

 霙みぞれの降る或る朝配達中に、一軒のハウスの裏口が開いて日本人のメイドが手招きをしている。よくあることで何がしかの食べ物をくれることが多い。当時日本人の多くが餓えて居た。卑しいと思いながらも空腹に耐えかねて台所へ入ると、机上に牛乳が入ったコップが置いてある。メイドが顎をしゃくって飲めと促したのが気に入らなかったが、滅多に飲めない牛乳に負けてがぶりと飲み込んだ。それは冷たい牛乳であった。冷え切った体に冷たい牛乳は堪えた。コップの縁が歯に当たり、カチカチ音がする。

 少し様子が変なので、後ろを振り返ると、次の間の扉が少し開いて眼が三段に分かれて笑って居るではないか。上はメイドで下は此処の子ども二人だ。頭に血が上った私はコップをテーブルに叩きつけると外へ飛び出した。霙と泪で頬を濡らしながら配達を終えて家に帰り、母親に口惜しさを一気に吐き出した。黙って聞いて居た母は暫くして「人にして欲しくないことは他人にするもんじゃないよ」としか言わなかった。物足りなさを感じたが、後刻、当時の親たちは偉いもんだと思うようになった。同時にその時母親を随分と悲しませてしまった自分を責めた。母はもうこの世の人ではなかった。

 

 ⑭中卒後に高校へ行く余裕がないことは判り切って居たので、当時GHQの命で三分割された三菱の「東日本重工業横浜造船所」養成工となり、企業内の「三菱造船工業専門学校」に入学し同時に当時4年制であった夜間の高校へ通った(企業内各種学校は大学の受験資格が無かった)が、視力半減の為と養成工はどんなに頑張っても技師への道が無いことを知らされて退職。知人の紹介で磯子区原町の「極東米軍横濱通信補給廠」の「ハウスボーイ」として蒲鉾型兵舎の兵士 12 人の世話をすることになった。一人月額千円で、工員当時より収入は多かった。学校の英語は役に立たなかった。「此れはペンです」なんて言ったら笑われるだけではないか。「ユーガラマッチ」が「お前マッチ持ってるか」と判るまでそれほど時間は掛からなかった。若いことはいいことだ。

 ベッドメイキング、靴磨き,クリーニング店への往復、兵舎の清掃が主な仕事。実はそれ以後、旅行でホテルや旅館へ泊まる度にシーツの折り目が気になる。簡単な冗談が言えるようになると、それぞれの気質も理解出来て対応は楽になった。その頃或る中尉さんと親しくなり、私が夜間高校へ通って居る。その後は昼間の大学希望と知った彼から、英文タイプを習得すれば夜間の仕事があると聞かされて、中区の吉田中学校近くのタイピングスクールに3ケ月通い免状をって希望を満たし、昼間の大学へ行けるようになった。職名は「クラークタイピスト」であった。21時~06時まで。昼間のカードポスティングの整理、発送指示の一端を当時日本ではまだ珍しかった電動タイプライターで担う夜間勤務であった。

 

 ⑮中学同窓生からは 3年ばかり遅れてのスタートである。(1954/04/201956/09/01)この期間はしっかり保存されて居て「厚生年金」支給期間として有効であることを退職後に知って感激した。

 当時、近所の小学校4.5.6年生と中学校の1.2.3年生を週3回各1ずつに分けて約50人ほどを教えて居たので、1日のスケジュールは日曜日(専ら寝だめ)を除いて満杯であった。収入はサラリーマンの平均給与よりは多かった。その代償は身体への負担として振り掛かった。当時を振り返ると私は随分酷い生活をして居た。6時から9時まで塾。9時出発、10時~午前6時まで夜勤(12時から13時までブレークタイム有)朝解放されると大学へ。2時限目か3 時限目の授業を空けて食事を摂り図書館で1時間半寝る。2年生になるともうーコマを開けて3時間を睡眠時間に充てた。帰宅して塾。睡眠時間は大学への往き1時間半で細切れの計3時間。2年時からは4時間半。帰りの1時間半はその日の3コマ授業の復習の時間。これが結果として良かった。試験勉強時間が無くても何とか単位が取れる結果に繋がったのだ。後半は授業料免除の恩恵も得た。

 

 夜勤のブレークタイムは食事有そして絶好の会話時間。夜食の中身は当時滅多に口にできない分厚く大きな食パンに同じ大きさのチーズ、ベーコン、トマトを輪切りにして挟んで、牛乳やジュースで食し、コーヒーが付く。

然しこの生活の繰り返しで、体重は二十歳過ぎても50キロを超えることがなかった。重い時は61キロまでになったが、90歳を過ぎた頃から筋肉が減少して来て丁度当時の体重近くになった。 

 

付録

 昨年7月。私の中学校勤務の最初の学級担任の男子生徒から、卒寿(鳩寿(きゅうじゅ)ともいうそうだ)の祝いにと、34日の「五島列島キリシタンの旅」をプレゼントされて驚いた。(卒寿は終わりの語感もあって避ける人も居るようだ)その生徒に何か特別の事をしてあげた記憶はない。 五島は行ったことが無かった。迷った挙句受けて全身で楽しんで来た。

 

 9月には、やはり卒寿の祝いにと静岡県から私塾当時の女子中学生が施設まで来てくれて感激した。私の妹と仲良しであったが理由は何と、英語の時間に教えた“不規則動詞の暗記”であった。

 これを我が子に教えた結果、子供たちの英語力は満点。特に男の子は成人して数か国語を話せるまでになり、活躍している。

 「お兄さんのお蔭です!」と言う。当時私は「お兄さん」であった。長生きはしんどいこともある。でも素敵なこともあるもんだ!

 

※鶴貝敬司さんのタウンニュース掲載記事のご紹介とご本人提供の原稿を掲載しました。ご感想等ありましたら次のボタンからお寄せください。鶴貝様にお渡しします。

 


令和7年8月21日(木)顧問ミーティング

 今日は、市青少年育成センター研修室で、清交会の歴史や沿革・規約などについて、三人の顧問の先生方に、会長をはじめ役員一同でお話を伺いました。
発足当時は、もちろん三人の先生方も清交会の会員ではありません。その頃に、今日のように「人生100年時代」が訪れることを、果たして誰が想像できたでしょうか。
目まぐるしく変化・進化する時代に即した活動について、先輩方から貴重なお話をいただき、今後の活動に生かしていきたいと考えております。


結成65周年記念旅行の準備・方向性ご提案

結成65周年記念事業準備委員会

   記念旅行担当     脇山幸之

 

 記念旅行につきまして、下記のとおり計画を進めてまいりたいと存じます。

 令和8年11月29日(日)・30日(月)に、熱海または箱根方面への1泊旅行を予定しております。

 過去には、海外旅行(3泊4日)や四国お遍路の旅なども実施してまいりましたが、近年は会員の皆様のご高齢化や体力面への配慮が必要となっております。そのため、まずは「安全にご参加いただけること」を最優先に計画を立てております。

 また、体調面へのご負担を軽減するため、式典・祝賀会から1週間以上の間隔を空けて実施する方針といたしました。

 さらに、昨今の宿泊費高騰の状況を鑑み、日曜日出発・1泊2日の行程を基本としたプランで検討しております。

目的地につきましては、新幹線または大型バスでのアクセスが良好であり、万が一の場合の対応がしやすい点から、熱海または箱根が適当と考えております

 

 皆様のご理解とご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

           ※ご意見等ございましたら下の問い合わせの要件欄に「記念旅行」とご記入の上ご連絡をお願いします。


令和7年8月5日(水)事務局会

 体温越え、熱い空気で日中の移動が懸念される中でしたが午後2時から横浜市青少年育成センターミーティングルームで事務局会を開催しました。9月5日の役員会(午後2時開始)の議案や資料の準備等が主な議題です。結成65周年記念事業へ向けての準備も始まり、改めて昭和36年に始まった歴史の重みを振り返りました。また、先月30日の津波警報発令時に遭遇してしまったバス見学会の横須賀方面への下見報告もありました。この暑さ、体調管理最優先で、「今」を少しでも多く楽しめ、会員の不安を共有できる、ホットできる場でありたいと3時間、今年最高気温となった日でした。

令和7年8月1日(金)会長挨拶

「サメテガル」って⁈ 

(フランス語だそうです⁉) Ça m'est égal

                              会 長 浅羽 幸雄
 先日(7/24)、読売新聞で見かけた記事が気になり、少し読んでみましたら、

70過ぎたら「サメテガル」 「老害」にならない魔法の言葉』という本が出ているそうで…。 今月、喜寿を迎える私にとっても考えさせられる内容と思ってそのまま読み進みましたら、その本には、「老害」と言われそうな高齢男性の言動が例示されているようです。

 「ちょっとしたことで腹を立てたり、他人を叱ったり、ボランティア活動などでリーダーシップをとって他人に命令してしまったり、こうでなくてはいけない、というこだわり、プライドが強すぎるのでしょう。軽んじられたり、自分をわかってもらえないと感じたりすることが怒りの発火点になりがちです」

この本の著者の樋口裕一さん(多摩大名誉教授)は、「普段から『サメテガル』と心の中で唱えていれば、反応が変わってくるんじゃないかと思う。真面目な人が多いんですよ。老後に何かを勉強しようという人も多いのですが、楽しみでやってるのならよいけれど、『しなくちゃいけない』という思い込みは、自分を苦しめかねない」 

「一番言いたいのは『頑張らなくていい』かな。老害と言われるような言動も、頑張っちゃうことから出てくる」

「誰しも老人になるのは初めてですから、体や心が変化して、新しく直面することはある。半ば楽しみ、半ば苦しみでしょうけど、それもどっちでもいい。自分に起きることに、おたおたしながらも、付き合っていけばよい」

 「サメテガルと思うのは、対象から距離を取るということでもあるんですよね。密着しすぎるから腹が立ったり悲しくなったりする。距離を取れば、いろんなことが冷静に見えてきます。こういう時に手が震えるのか、などと自分を観察するのも面白いんじゃないでしょうか」
 樋口裕一さんがインタビューに答えていた内容をいくつか紙面から抜き出してみましたが、他の著書でも興味のあることを書かれているようですので、今度、時間を取って読んでみたいと思いました。

「どっちでもいい」の考えが、大事なんだと実感‼)

ところで、昔は八月といえば「夏休み」「夏本番」と言っていたと思いますが、最近は、季節が「四季」ではなくなって、五月、六月ごろから長い夏に入って他の季節がずっと短く感じられるように思います。地球温暖化が一気に加速して、日本も「亜熱帯か?」と言われても不思議でない気がしてきました。北海道までもが猛暑日を記録して、「北海道から沖縄へ避暑に行く⁈」なんていう冗談のような言葉も聞かれていますが、こればかりは、それこそ「サメテガル(どっちでもいい)」なんて言っていられませんね?! 地球温暖化には何としても歯止めをかける行動をとりたいものです。 

何はともあれ、我々高齢者は少なくとも今年もこの暑さを乗り切らなければなりません。生活様式を工夫し冷房等も大いに活用して、無事に過ごしていきましょう!

 

 ※Ça m'est égal(フランス語)

7月30日(水)バス見学会候補地下見

 今日は行事の候補地の下見で事務局の担当者3人で猿島へ渡る予定でしたが、高速道路を降りた直後に「巨大地震発生」の第一報が入りました。津波注意報が発令され、周辺の駐車場では近隣の方々が車を高台へ移動させており、三笠公園をはじめ、海に近い施設はすぐに入場禁止となりました。

 地元の方や子どもを連れたお母さん方数人と情報を共有することができ、情報の受け取り方や量の違いで、人々の行動が大きく異なることを実感しました。話すことでほっとしたような表情を見せる方もいらっしゃいました。

 さらに津波警報を受け、市民の素早い対応に驚きつつ、私たちも山の方へ避難しました。横須賀市とその市民の防災意識の高さ、そして対応の徹底ぶりには感心させられました。実際、警報発令後は多くの方が高い建物の上階や駐車場へ車を移動させており、久里浜花の国へ移動した際には「この施設を避難場所として開放します」という場内アナウンスが流れていました。

 

 帰りの高速道路では、反対車線が街への移動が封鎖された影響で、これまで見たことがないほどの大渋滞が発生していました。

今回の経験を通して、災害は季節や時間を問わず突然起こること、そしてこの猛暑の中での避難行動の難しさを痛感しました。避難されている皆様が、どうか熱中症などにかからず無事でいらっしゃることを心よりお祈り申し上げます。


市連退教育講演会のチラシができました。次のQRコードで市連退サイトへ進みます。

淸交会のホームページに市連退のコーナーを作成しました。こちらからご覧いただけます。


7月11日県連退地区会長会

 淸交会は市連退、県連退等と連携していますが、外部団体、上部団体の様子は会長等参加者以外はあまり詳しく知る機会はありませんが、今回は浅羽会長が丁寧に報告書と当日の様子を写真で情報提供していただきましたのでご紹介します。

  神奈川県連合退職校長会(県連退)地区会長会のご報告

 

 7月11日(金)に、市育成センター第一研修室で「地区会長会」が開かれました。県下7ブロックから15人の地区会長が集まり、役員としては、横浜の中学校からは深津副会長、笠原企画部長、志村企画副部長、伊藤(次)会計部長は欠席でしたが、谷会計副部長、更に大河内顧問・富田顧問・川端顧問が参加しました。  各地区の様子が色々と報告されて今後の県連退の方向性が確認されました。今回は、事前に配られたアンケートを庶務部が纏め、それを皆で確認するという方法がとられました。

 

  アンケート内容は、①「県連退の存在価値を高める活動の工夫や在り方について(持可能な組織にするための工夫)」②「65歳を過ぎても入会したくなる魅力を紹介ください。(入りたくなる事業、人の絆を強くする活動)」③「全連退、県連退への要望や意見」の3項目でしたが、次のように要領よく集約されました。

 

 ①については、

 〇活動を見える化し簡潔に分かりやすく情報提供する。具体的には「県連だより」の工夫が考えられる。諸活動の門戸を広げ、広く参加を募るために「かなが教育月間申請」を進める。例えば、県連の講演会を「かながわ教育月間参加」として開催したブロックは、次年度以降も継続して「かながわ教育月間参加」を申請していくと広がっていく。  

 •地区同士の情報交換や入率を高めるための工夫や魅力的な研修や事業等の情報提供、各地区が抱える課題の発信等を活性化したい。これを実現するためにホームページやメール、LINE 等の活用を図る。同時に、直に会って交流して楽しさや温かさを実感できる「場」を大切にしたい。

 

 ②については、  〇魅力ある活動の創造とそれを見える化して効果的に発信することが大切。  ●既存の事業と新しい活動のバランスを図ることが課題。  〇「生涯学習」の視点から、入会すると新しい学びに繋がる機会をつくること。そして、その広報が魅力に繋がっていく。広報、情報発の手立てとして、メーリングリスト、LINE、Facebook、マスコミの利用、ホームページの活用などの実現可能性を探る必要がある。

 

 ③については、

 ◎今後も全連退からの情報提供と分担金値下げの要望は継続していく。  〇県連退の活動を見える化する。マチコミ誌の活用。  ●県連退が全連退に物申すことが大切。全連退は政治団体、全連退会員数8万人というスケールメリットをどのように生かすか、アイデアを積極的に提案する(提言部会の新設)。他の教育団体との連携を促すよう進言する。  〇マスコミを有効活用する。ホームページ、LINE、Web会議活用などの可能性を探る

 

 上記内容を、アンケートを纏めた横浜の小学校・須貝庶務部長が丁寧に報告されました。各地区からの補足はほとんどなく、さながら講演会のようだったという声もあるくらい上手くまとめられましたので、これを各地区に持って帰ってどれくらい活かされるかが大事になってくると思いました。

 今回は、これらがメインの会議でしたが、他には、10月8日(水)に、「杜のホールはしもと」で開催される講演会「はやぶさ2 小惑星への挑戦」の二次案内が県央ブロック・相模原市退職校長会よりありました。(会場に余裕ありとのことで、割り振り以外にも参加可能と強調されました。)さらには、谷会計副部長から分担金の納入状況の報告と次回8月22日(金)に開かれる「ブロック代表者会」での教問研開催補助金支払いに関して、また、笠原企画部長からは各地区の教問研・講演会等の開催予定の調査協力のお願いがありましたが、それぞれに県連退での発言デビューとなりました。

 また、会の終わりに際しては、顧問紹介があり、今回顧問になりたて(ご本人談)の川端顧問(前会長)からのご挨拶があり、昨年までの2年間全連退の副会長を務めた経緯などに触れて有意義なお話で会を締めくくられました。

                              (報告 浅羽幸雄)



令和7年7月7日(月)三役会・324回役員会

 7.7.7とラッキーセブンが並び、七夕に324回役員会が開催されました。次年度の結成65周年事準備委員会、規約改正等課題が多くあるため、できるだけ時間を節約し、情報交換の時間を多く取っている令和7年度の役員会、今回も多くの意見をいただき、また集うことの良さを確認できた時間となりました。詳細は各地区役員からそれぞれの方法で連絡されると考えられます。また、このホームページでその雰囲気を感じていただけましたら幸甚です。

 横浜市周辺からご参加いただいた役員の皆さま、今日は猛暑の中、本当にありがとうございました。役員の皆さまの闊達な会議風景をご覧くださいませ。

 

7,7,7のラッキーセブンに寄せて、役員会は会員と「会う、しゃべる、出かける」すべてが高齢者に必要な三薬!!


令和7年7月1日(火)会長挨拶

七夕に何願う

   浅羽幸

西日本では早くも梅雨明けが宣言されました。猛暑日が各地で続いています。このまま暑さが増していって関東地方の梅雨明けも間近になってきているようです。

7月7日は「七夕」ですが、この日に、清交会では定例の三役会・第324回の役員会が行われます。前回の役員会から会議の効率化を目指して、議題として取り上げる項目を精選して会議を進めるようにしました。ちなみに前回は総会時に紹介できなかった新しい役員の方々を紹介したあと、いくつかの案件が連絡・報告事項で済む事案と判断したため「議題なし」として、議長に代わり司会が中心になり会を進めました。そのいくつかの事項については担当者から説明があり、活発な質疑応答もありましたがそれぞれ確認をいただきました。役員会はほぼ予定通りの時間で終了でき、その後、特別委員会が行われました。

 

また、「教育講演会」の講師としてお願いする、横浜ユーラシア文化館・副館長の伊藤泉美様にもお会いして、コロナ禍等で二度中止せざるを得なかった伊藤氏の講演会ですが、三度目の正直で10月15日に講演をお願いすることが正式に決まりました。魅力的な演題『横浜中華街の歴史と今』でお話を伺うことになりましたので、皆様もお誘いあわせの上ご参加ください。

また、この事業は、「かながわ教育月間」の一環として広く一般の方々にもご参加を呼び掛けるように、昨年から取り組み始めた案内チラシを作成することにしています。さらには、清交会のホームページから市連退のページにリンクできるよう準備を進めていて、参加希望者の登録をお願いすることも考えています。

11月8日に予定している、「教育問題研究協議会は、シンポジウム形式で実施しますが、3校種(小・中・特支の各学校)で行うことになりましたのでシンポジストとしては現役の3校種の校長先生方を始め、今回は中学校の退職校長会から会員を1名推薦して話題提供をしていただくことになっています。こちらの方へは是非とも会員の皆様からご協力いただける方のご推薦をお願いいたします。

最後に、前回もお願いいたしましたが、ホームページの各欄を随時ご覧いただき、興味を持ったところへのご参加・投稿等をお願いいたします。会員の皆さんには是非とも清交会のより一層の活性化にお力をお貸しいただけたら幸いです。

 

ところで、七夕飾りの短冊ですが、さて何と書きましょう…?!

一般的には「世界平和!」等となるのでしょうが、私としてはやはりこの暑さに負けずに

「健康で過ごせますように‼」となってしまいそうです。

皆様もどうぞご自愛いただきますようお願いいたします。 (7月1日)

 

 

 

 

令和7年6月19日(木)市連退第二回常任理事会・第一回教問研実施連絡会

 市連退第2回常任委員会および第1回教問研実施連絡会を開催しました。今年度は中学校が事務局を担当しています。また、淸交会会長が市連退会長を兼任しています。

 市連退の二大事業である「教問研」と「教育講演会」について、詳細な提案がなされ、承認されました。今年度の講演会は、「横浜中華街の歴史と今」と題して、横浜ユーラシア文化館副館長の伊藤泉美氏を講師にお迎えします。

 残念ながら高校の脱退により少し寂しさもありますが、教育委員会、中学校校長会、県退職校長会長など多くのご来賓をお迎えし、無事にスタートを切ることができました。

 特別支援学校からは、教問研のシンポジウムにご登壇いただく二ツ橋高等特別支援学校長にもご出席いただき、その熱意とエネルギーに強く心を動かされました。

 

 本日は、熱中症が心配されるような暑さの中、多くの皆様にご参集いただき、誠にありがとうございました。


令和7年6月10日(火)臨時事務局会

 

臨時事務局会を開催しました

 梅雨入り前日、小雨の降る午後3時15分より、横浜市育成センターにて臨時事務局会を開催しました。(※総会の予定に含まれていない会議を「臨時」と位置づけています。)

今回は、役員が地域活動や学校勤務などで全員集まることが難しい状況の中、あえて全員で協議できる場を重視し、時間・会場を確保して実施しました。

 会議では、総会後に寄せられた疑問点を中心に、今後の活動について意見交換を行いました。2か月に1回の役員会を、限られた時間の中でも有意義な情報交換の場とするための工夫や、今後必要となる「結成65周年記念事業」の準備時間をどのように確保するかなど、幅広く検討を進めました。

 しかし今回は、「規約検討委員会」からの提言内容の確認と議論に多くの時間を要し、他の議題については駆け足での共有となりました。

 

 これらの内容を踏まえ、7月7日に予定されている三役会・役員会に向けて、引き続き準備を進めてまいります。


令和7年6月8日(日)旭・瀬谷地区集会

 令和7年度最初の地区集会が開催されました。地区役員さんから当日の様子が次の通り、報告されました。ご紹介します。
 先日6月8日(日)に三ツ境駅近の会場で浅羽会長にも参加していただき瀬谷と旭の合同地区集会・懇親会を開催しました
参加者は会長と新会員の方を含め12名でした。
地区集会では会長からご挨拶をいただき、情報交換、参加者の近況報告などを行い懇親会では、今回は不参加ながら、ご返事をいただいた方々の近況を皆さんにお伝えし和やかな雰囲気のなか楽しい時間を過ごし、次回の再会を確認して閉会しました。
    以上簡単ですがご報告します      (懇親会の写真を添付します)旭区担当役員 栁澤 龍一郎

令和7年6月1日(日)会長挨拶

「花言葉は移り気?? 辛抱強さというのもあるそうです!」 

                      会長 浅羽幸雄

紫陽花の様々な色がだんだんと色濃くなってきました。

我が家の紫陽花の主流は「墨田の花火」という品種だそうですが、どんどん大きくなってくるので、他の品種の紫陽花がやけにさみしく見えてしまいます。それでもいろいろな色が楽しめて雨降りでも気持ちは和んでいます。

 

先週5月29日に、横浜市青少年育成センターで横浜市連合退職校長会(市連退)の総会が開かれました。今年度から2年間は中学校が事務局を担当することになり、私が、清交会会長と兼ねて会長を務めることになりました。(小学校と中学校が2年ごとに担当することになっています) 市連退はこれまで四校種(小・中・高・特支の各学校)で共に協力して活動を支え合ってきましたが、どこも会員数の減少など同様の悩みを抱えている中で、高校の退職校長会が近年の新会員の加入の少なさから組織運営が難しくなり市連退から脱会するという事態になりました。今回の総会ではそれに伴う規約の改正が承認されました。今後は三校種での活動になり、高校の会員は任意参加の形となりました。

 

5月一杯で各関係諸団体の総会も一段落し、これからはそれぞれが例年通りの活動を展開していくことになりますが、清交会が関わり私が会長として参加していくことになる諸行事の様子なども、一つの情報として会員の皆様方にお伝えできたらと思っています。

これまでは、隔月に行われる定例の三役会・役員会での報告で、会員の皆様方にはなかなか伝わり切れなかった情報が多かったと思いますが、このホームページを使って随時お伝えできればと考えているところです。

 

差し当たって、6月8日(日)には、今年度最初の地区集会が「旭・瀬谷区 合同地区集会・懇親会」として開かれますので、これに参加させていただいて皆様のお声を直にお聞きし今後の会の運営にも役立てていきたいと思います。

 

 

最後に、総会の後に皆様方に総会資料他、清交だより、会員名簿や連絡網、市連退・県連退関係の報告冊子等をお送りしましたが、それを見た会員の方々から名簿の修正・変更などの情報がホームページのお問い合わせ欄に寄せられています。それらの情報は個々に、また、まとめて対応させていただきますが、このような活用方法が少しずつ定着してきたのかなと実感しています。今後も、ホームページの各欄を随時ご覧いただき、興味を持ったところへのご参加・投稿等をお願いいたします。会員の皆さんには是非ともこの会の活性化にお力をお貸しいただけたら幸いです。                  (6月1日)

 


5月29日(木) 市連退総会

  青少年育成センター研修室で「令和7年度市連退総会」がありました。総会議案はすべて了承されましたが、残念なのは昨年急に話題になり、議案になった「高校の退会」です。会員の減少、定年年齢の変化による「定年意識の低下」と、全校種同じ課題を抱えています。ただ、小中は基本数が多いため、その影響は今のところ小さいとも言えます。規約の改正を伴う総会開催でしたが、2年前に高校、特別支援校の負担を減らすために小中で事務局を負担するなど協力をしてきましたが、高校側の強い思いで退会となりました。今年から2年間は中学校が事務局を担当します。ご協力よろしくお願いいたします。


5月10日(土)会員からの投稿ニュース

 ホームページのニュース投稿などをご覧いただき、「旧知の方を見つけられてよかった」とのお声をいただくことがあります。しばらくお会いしていなかった方の近況を知るきっかけになっているようで、うれしいお言葉です。

 今回は、『のばらの会』総会が開催されたとのお便りをいただきましたので、ご紹介いたします。ご参加された90代の大先輩のご様子は、「人生100年時代」を生きる私たちに多くのヒントを与えてくれそうです。

 ご趣味でお茶を教えていらっしゃるその方は、「リアルで人と会いたい」との思いから、今回の会に参加されたそうです。参加者の皆さんとLINEでつながり、「私はLINE初心者なので、これから勉強していきます」とグループLINEにも加わられました。

 先日の国語科OB会の様子に続き、会員の皆さまの近況がうかがえる投稿をありがとうございました。「のばら」ではありますが、「とげ」はありませんとのこと——素敵なコメントに、心が和みました。。

令和7年5月7日 第323回役員会

 5月7日、令和7年度役員会がスタートしました。最初に横浜市役所教育委員会へ行きました。市立中学校へ資料を送るためです。最新のセキュリティの市役所は荷物を持ち込むのも大変です。市庁舎の防災センターへ、業者用の入庁カードを取りに行き、壁のような隠しドアから入ります。本日は会長と二人で持ち込みましたが、台車を持ち込んだため、今までにない移動距離と移動経路になりました。

 さあ、間もなく、役員会が始まります。役員の皆様、今日もご多用な中、ありがとうございます。


令和7年5月7日(水)            特別委員会:活動活性化委員会

 活動活性化委員会から本日話し合いした内容です。参加者は相澤さん、近藤さん,織茂さん、菊池さん、増見さん、事務局から小林さん、釣さんの7名でした。互選で委員長は増見さん、副委員長は織茂さんになりました。

 11月15日の旧東海道を歩く会の下見は10月に計画しています。9月の委員会で詳細を決めます。あまり反応がないのですが、昨年同様、会員からの提案を呼び掛けています。(委員長 増見)

 上記のように話し合い結果を活動活性化委員会のメンバーにlineで流したところ、すぐに一人の方から情報提供がありました。

 Kさんより・・「私は小型船舶一級免許を持っています。土日に時々連辣ボートを借りて釣りやクルージングを楽しんでいます。去年は横須賀から相模湾を横断して初島にクルージングしました。天候にも左右され、レンタル料、ガソリン代もかかりますが船舶免許を生かした活動活性化のお役に立てることがありましたらご連絡ください、」とうれしい提案がありました。

 新しいことが始まる予感がします。ご興味がある方はこちらから

ご連絡ください(件名クルージング)


令和7年5月3日『4月20日(日)国語科OB校長会開催』

 国語科のOB会を開催し、15名の皆さまが懐かしく、熱く語ったと当日の写真とまとめの広報のご連絡を国語科OBからいただきました。

退職校長会のさらなる活動活性化のヒントを国語科の皆さまにいただいたようです。ありがとうございました。今後の活動に期待します。

 尚、国語科の皆さまの参加をお待ちしていますと「まとめを発行」してくださった下山様からありました。こちらへご連絡いただければ国語科OB会(下山様)へ転送します。(件名に国語科とご記入をお願いします)

 


令和7年5月1日 新会長挨拶

「繋ぐ」

      (前岩澤会長の清交だよりの言葉からいただいています) 

                          会長 浅羽幸雄

 

風薫る五月。こんな言葉がぴったりな今日の爽やかさ!


 先週4月26日に、市教委・教育次長様、中学校長会長様を始めとして5名のご来賓をお招きして、令和7年度第68回清交会総会を開催しました。長く感じたコロナ禍を乗り越えて、ようやく対面での総会が戻って定着してきた感があります。総会はほぼ予定通りの進行で、議事についても滞りなく全て承認され、今年度の活動の方向性も確認されました。

その中で、今回、私・浅羽幸雄が会長として推薦され承認されました。岩澤会長の後を継いで精一杯務めさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。

 私は、60歳で定年退職の後、5年間の嘱託勤務(教育相談員2年・SSW3年)を経て、平成26年度から会計3年、庶務4年、副会長4年と11年間事務局を経験させていただきました。この経験の中で、長らく続いてきた「伝統」を十分に感じつつ、新しい時代の変化もいやというほど実感させられてきました。富田前々会長時代に立ち上げたホームページの開設、連絡網のメールやLINEの活用もしかり、今回の総会でもお二人のご来賓のご挨拶の中でも、社会の変化に対応する様々な教育行政改革や現場のご苦労を感じさせるお言葉が多数出てきていました。

このような情勢の中で、代々の会長の業績を感じつつこれを受け継いで繋いでいく覚悟で、今年度のスタートを切っていきたいと思っています。

 

今後も、月ごとにホームページで情報等を流していきたいと考えていますので、会員の皆様のお声もお聞かせいただければ幸いです。

  (写真は横浜市庁舎前のピカチュウのポストと)


令和7年4月30日(水)新旧事務局総会資料発送作業

 横浜吉田中学校の会議室をお借りして、今年も新旧役員による年次の発送作業を行いました。
午前10時から、資料の準備、封筒への住所シール貼付、資料の種類ごとの仕分け、封入作業と進め、昼食にはコンビニのおむすびをいただきました。その後、郵便局に渡すまでが本日の作業です。別レーンでは、慶祝対象者への記念品等の発送準備も並行して行いました。お仕事の都合で時間に制約のある役員も、空き時間を見つけて作業に加わってくださいました。

 なかなか減らない資料と封筒の山。疲れがピークに達した頃、ようやく残りの部数が把握できるようになりました。そんな中、さらに全中学校向けの資料封入が100数十部の追加作業は副校長が複数名いる学校もあり、気が抜けませんでしたが、幸いにも資料の点数が少なかったのが救いです。

 17時半過ぎに郵便局の集配が終了し、最終確認を終えたころには18時。長時間にわたる作業、本当にお疲れさまでした。そして、このたびも横浜吉田中学校様には大変お世話になりました。心より感謝申し上げます。

 帰宅の途上、青さの残る空に三日月が浮かんでおり、ほどなく会員の方からもその三日月の写真をご投稿いただきました。いつもありがとうございます。今日一日の疲れが癒されるようでした。

令和7年4月26日(土)令和7年度第68回総会

  ブリーズベイホテルにおいて、教育委員会次長、石川隆一様をはじめとする5名のご来賓をお迎えし、『令和7年度 淸交会第68回総会』が開催されました。すべての議事は賛成多数により可決され、滞りなく終了いたしました。

 また、教育次長ならびに中学校長会会長よりご挨拶を賜り、昨今の教育改革や学校支援に関する具体的なお話を伺いました。特に、進化するAIやビッグデータの活用に伴い、教育現場にも急速なIT化の波が押し寄せている現状に驚かされました。従来から続くいじめ問題への対応も依然として重要な課題である一方、一般社会と同様に保護者が弁護士を同伴して学校に意見を申し入れる時代になったとのお話もあり、改めて学校教育の現場がかつてないほど困難な状況に直面していることを強く感じました。

 現職校長たちのご苦労を思いながら、改めてその先で待つ淸交会は楽しい場でありたいと強く願った一日となりました。総会の様子、懇親会の様子をご紹介します。(懇親会の様子は別ページも掲載しました。こちらからご覧いただけます。)総会資料は30日に発送予定です。もうしばらくお待ちくださいませ。本日総会へご出席いただきました会員様、ありがとうございました。

総会前半:会長挨拶~慶祝者への記念品贈呈~ご来賓祝辞

総会後半:議事

懇親会:笑顔がすべてを語る

 ホームページで淸交会総会・懇親会に集った皆様の写真を見て、若い頃を思い出したり、皆様の笑顔に励まされ「自分も頑張ろう」と思ったり、あるいは普段は口にできない不安を語り合ったりと、さまざまな声が寄せられます。 また、知人の姿を見かけて「久しぶりに連絡を取ったよ」というお話も多くいただきました。
 今年、令和7年度の総会も、まさにそんな温かな雰囲気に包まれていました。

教育次長、校長会会長からは、令和の教育現場における急激な進化・変化と、それに対応する難しさについてのお話がありました。その後の時間は、改めて昭和の良さを感じるひとときともなりました。10年ごとの教育ビジョンに沿って歩んできた私たちですが、単に昭和を懐かしむのではなく、「今」という時間を大切にし、これからも続いていく現役の教育界にエールを送りたい——そんな思いが胸に沸いたのではないでしょうか。
そして、いずれ現職の後輩たちが淸交会という未来で待っていることを伝えられたなら、この総会・懇親会は大成功だったと確信しています。

 

 残念ながらご出席できなかった皆様にも、あの時間を少しでも共有していただけましたら幸いです。皆様ご存じの、淸交会の会員たちの温かな笑顔にあふれた当日の様子をご紹いたします。(左の)当日の様子をクリックしてください。ほかの画像を見ることができます)


令和7年4月16日(水)三役会・第322回役員会

 新入社員と見える集団が町を歩く姿に出会いました。4月は「新」が似合います。今日は年度初めの三役会。役員会が横浜市青少年育成センター研修室で開催されました。まだ、令和6年度の役員会なのですが、4月のこの会は例年、多くの地区役員さんが集まりいつもの役員会よりもにぎやかに感じます。今日は来る総会へ向けて議案書の確認とそれぞれの情報交換が行われました。活発なご意見が飛び交い、12時半から事務局会、13時半から三役会、14時半から役員会と続きましたが長時間お疲れさまでした。岩澤会長がご挨拶の中で、健康の秘訣は「出かけること、人と話すこと、食べること飲むこと・・・」を挙げていらっしゃいました。今日ご参加の皆様は飲むことの種類はそれぞれであると思いますが、この条件は満たしていらっしゃる方がほとんどのようです。最後にご参加いただいていました小池顧問と富田顧問のお二人にご挨拶をお願いしたところ、小池顧問から「前回は私が話したから富田顧問!」と話を振られ、みんなで大爆笑でした。笑いながら役員会を終了し、特別委員会の活動になりました。笑いながら追われる会議の大切さ、清交会の姿はいつもそうありたいと願っています。市内から、遠くからご参集いただきました役員の皆様、お疲れさまでした。26日の総会はよろしくお願いいたします。今日の議案書はお持ちください。

令和7年4月5日(土)県央地区観桜会

 清交会活動活性化に昨年から地区の花見を公開されている「県央地区観桜会」がお花見日和の元開催されました。みんなでおしゃべりしながら飲む美味しさは格別です。高齢になったら2つのベルを鳴らしましょうと聞きました。「食べる」「しゃべる」その大切なベルが鳴り続ける様子が目に浮かびます。県央地区観桜会のご紹介でした。

令和7年4月1日  会計監査

 朝十時から令和6年度会計監査です。会計監査の役員の質問に答えながら一般会計、慶弔費と進みます。通帳記入も年度末の昨日と今日、両日それぞれの銀行で確認するという念の入れよう。無事に終わりました。会長の印で令和6年度が終了です。会計と会計監査の皆様、ありがとうございました。お疲れさまでした。

令和7年4月1日  4月会長挨拶


 

                                      

      「 ここは横須賀 」

                                       清交会会長   

 

 毎朝8時になると、アメリカ合衆国と日本の国歌が大音量で流れます。私の住んでいる横須賀は、米軍の基地と海上自衛隊の基地が隣接しています。両国の国歌は、確かめては居りませんが、どうやら米軍の基地から放送されているようです。通学中の子供たちは、その放送を聞いて「急がなくちゃ・・」などと、足を早めます。朝8時のアメリカと日本の国歌・・横須賀では、時間の目安として定着しているようです。

 随分前のことですが、横須賀出身の山口百恵さんが「♪ここは横須賀~♪」と歌っていました。その時友人に「地名でも《横浜》はモダンなイメージがありますが、《横須賀》はどうも??・・」と言われ、根拠のない言葉に「それは言いがかりですか?」と、口をとがらせたことがあります。と同時に、自分の地域愛を再確認した時でもありました。

 「ここは○○」と、音や絵画、写真などで地域のイメージを膨らませるプロの方がいますが、私も『地域』の色を見つけたいと、クレヨンを買ってきました。さてさて、画用紙に色が塗れますか、白紙のままになりますか、新学期・4月の挑戦を自分に課せてみました

令和7年3月27日(木)役員指名委員会

 

 午前中の横浜は黄砂の影響で遠くがかすんでいましたが、育成センターの研修室では役員指名委員会が開かれました。朝早くからご参加くださった委員の皆さま、ありがとうございました。

 廊下では現役員たちが、次年度に向けた準備に追われています。この後も会議が続き、年度末から年度初めにかけての忙しさを改めて実感しています。現役時代と違うのは、関係者が皆年を重ね、作業に以前より時間がかかることです。

 そんな中、「花を眺めながらウォーキングをしてきました」と、美しい写真を送っていただきました。ありがとうございます。

令和7年3月17日(月)行事参加往復はがき発送しました!

令和7年度清交会行事参加アンケート)

清交会からのお知らせ

 

 近年のIT化の進展や紙資源の削減を踏まえ、清交会ではSDGsや働き方改革の観点から、今年度よりはがきや封書での連絡をできるだけWeb対応へ移行することにいたしました。

 

 ただし、すべての会員様がWebを利用できるわけではないため、ご希望に応じて「紙ベース」「Web・メール」「両方」のいずれにも対応できるようにいたします。何卒ご理解とご協力をお願いいたします。

初めての試みとして、毎年度初めに提出いただいている図のような事業参加の申込は、これまでのはがきに加え、スマホやパソコンからも行えるようになりました。

 

 

 本日往復はがきを発送しましたが「web活用」も可能です。

つきましては、次の行の「右のはがき...」をクリック、タップしていただき以下の質問にご回答をお願いいたします。

 

 右のはがきと同じ内容をご記入いただけます。

スマホの方はこちらから回答が可能です。

はがきでご返信も可能です

のはがきと同じ内容をご記入いただけます


令和7年3月7日(金)俳壇・歌壇・柳壇一度に申し込みできます!

 会員様からITの使い方があまりできない方は参加したくてもあきらめてしまうと問題提供をいただきました。そこでできるだけ簡単に使えるように登録方法を変更しました。

登録には名前(名乗り名)とメールアドレスが必要です。

1)スマホの方はこのQRコードを読み取ってお名前、メールアドレスを記入後送信してください。

2)パソコンの方はこちらから送信してください

 (赤字の送信をクリック!すると登録画面になります)

3)登録後、投稿ができるようにお一人お一人に合った方法を送ります。

  最初のところで許可するを押してください。

 



令和7年3月1日 3月会長挨拶


令和7年2月13日(木)如月展開催中



スマホの方はこちらからご覧ください。

関係先リンク

清交会

   会長挨拶

   沿革

   規約

  会員情報

  清交だより

   令和4年

   令和3年

     令和2年

  予定と記録

   令和5年予定

   過去の記録

  慶弔の記録

  会員のページ

   活動の紹介

  会員専用ページ

  (パスワードあり)

お役立ち情報